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働かざるもの食うべからず【江戸時代】 生存権 【平成現代昭和】

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憲法14条1項の「法の下の平等」の意味ってなんですか?

  • 知恵コレ

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kobitohanakoさん

2013/7/2521:44:47

憲法14条1項の「法の下の平等」の意味ってなんですか?

「行政権、司法権が国民を差別してはならないという、法適用の平等の意味だけではなく、法そのものの内容も平等の原則にしたがって定立されるべきだ、という法内容の平等をも意味している」というのとは、違いますか?

法の下の平等の意味がよくわかりません。
教えていただけると助かります。よろしくお願いします。

補足【補足】

さっそく答えてくださってありがとうございます。

「実質的平等」の意味がよくわかっていません…。
授業で、絶対的平等と相対的平等を習いました。
「実質的平等」は、相対的平等とは、また違うものなんでしょうか?

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masafumi1045さん

編集あり2013/7/2616:27:38

まず、形式的平等(機会の平等)という概念があります。これは、同じ人間であるなら、等しく同じように扱わなくてはならないという意味での平等であり、法の下の平等とは、この形式的平等からスタートしました。例えば、背が低いからといってバスケ部への入部を拒否されれば差別になりますし、女性だからといって選挙権を与えられなければ差別になります。なので、スタートラインを全て揃えようということになったのです。

しかし、同じ人間と言えども、能力・身体・性別・年齢・人種・国籍など、あらゆる属性において差異が存在します。この差異を無視して形式的平等を貫くと、かえって不利益を被る人が出てくることも事実です。例えば、男性と女性を差別してはならないからといって、全てのオリンピック競技を男女で分けずに実施すれば、筋力で劣る女性は男性に勝てなくなります。他にも、身体障害者を差別してはならないからといって、健常者と全く同じ扱いをしなければならないということになれば、生活に支障が出るでしょう。

このように、形式的平等を貫くことによって、結果の不平等が生じてしまうために、事実上の差異に基づく合理性のある差別については許容するという「実質的平等」が法の下の平等を意味すると現在では考えられています。

質問者が言及している法適用の平等・法内容の平等とは、実質的平等を実現するために立法者までも拘束するかどうかという議論であり、法の下の平等の具体的内容とはあまり関係ありません。

【補足について】
色々な言葉に引っ張られ過ぎかな、という思いがします。
絶対的平等・相対的平等は、「いかなる場合に差別に当たるのか」という観点から法の下の平等を見た時の法概念です。

例えば、お金持ちの家に生まれたAさんと、貧しい母子家庭に生まれたBさんがいたとします。Aさんは経済的に余裕があるので、子どもの頃から進学塾に通い、有名大学に入って官僚になりました。他方、Bさんは一生懸命勉強しましたが、学費を捻出出来なかったので大学進学を諦めました。と仮定します。つまり、結果の不平等です。

もし、Bさんが、ただ学業怠慢で成績が悪かったために大学に行けなかったとすれば、「自己責任」の一言で済ませられるでしょう。ここで、形式的平等の立場からすれば、AさんもBさんも大学に行けるチャンス(機会)はあったのだから、不平等ではないということになります。これに対し、実質的平等の立場からすれば、上記例について「本当に機会は平等だったのか?」と苦言を呈するわけです。すなわち、大学に進学する経済力が無い時点でスタート・ラインは平等ではないだろう、と。この場合、母子家庭に対して学費を助成する等の制度が無い限り、不平等状態が生じているということになります

勘違いしてはいけないのは、実質的平等が確保されていないからといって、直ちに法の下の平等に違反するということにはならないという点です。相対的平等説によれば、更に「合理性」を欠く不平等だけが、憲法14条に反する「差別」に当たることになります。なので、実質的平等=相対的平等ではありません。確かに混乱するところではあると思いますが。。

哲学 (無知のヴェール)について判り易く説明していただけませんか?

  • 知恵コレ

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nananoissiさん

2010/11/1216:30:13

哲学 (無知のヴェール)について判り易く説明していただけませんか?

 

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anengagemanさん

編集あり2010/11/1300:55:51

ジョン・ロールズのことば。何の先入観も利害関心もなく、直観だけが働いた状態のこと。人々がこの無知のヴェールをかぶった状態でのみ、人々によって彼の言う正義の二原則(自由と平等の保証、格差の是正、機会均等)が正しいものだと直観されます。

つまり、もし質問者さんが日常正義について何も考えずに生きていて、正社員なら、アルバイトのことなんてどうでもよく自分の利益を削ってまでアルバイトの待遇を改善することに協力しようと思わないかもしれない。けれども、無知のヴェールをかぶった状態ならば、「自分は正社員。その正社員としての利益を守るべく、常に動くべし」という利害関心、「バイトはだいたい自分たちよりバカ」という先入観などがなく、客観的に見て正社員との格差が大きくかわいそうな状況にあるアルバイトの待遇を改善するのが妥当だ、という結論に至る。こういうような例にもたとえられるでしょう。

ここで、ロールズは、国家の正当性を基礎づけるにあたってホッブス、ロック、ルソーが構想した社会契約が成立するまでの「原初状態」という政治理論を継承、自分なりに展開していると言えます。

この「無知のヴェール」という想定に対する批判は、たとえば、こうです。「無知のヴェール」などは存在せず、正義の二原理が正当化されるのは、どの地域でも普遍的にではなく、西洋の民主主義の伝統、立憲主義の特殊な伝統のなかでだけである。アフリカやアジアに住んでいる野蛮人がいくら「無知のヴェール」をかぶっても、正義の二原理が正しいとは直観できないだろう、と。

ロールズは、批判を受けて、自らの普遍主義も「無知のヴェール」という概念も引っ込めます。そして、正義の原理は、西洋の民主主義の伝統、立憲主義の伝統のなかでこそ成り立つものである、と述べ、自身の正義論を修整します。

ジョン・ロールズを調べたとき、原初状態、無知のヴェール、マクシミンルール、正...

  • 知恵コレ

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toraji_powerさん

2012/1/1204:11:18

ジョン・ロールズを調べたとき、原初状態、無知のヴェール、マクシミンルール、正義の二原理、自由の優先順位といった用語が出てきますが、これらの用語は簡潔に言うとどういった内容なのでしょうか?

 

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rank_0utさん

2012/1/1819:03:48

ロールズは、正義の原理に人々が合意していく機構として、「原初状態(the original position)」という、仮説的な状況を設定しました。それは、正義の原理が導入される以前の状態を言い表します。この状態となる条件は、次の三つです。

原初状態の第一の条件は、「無知のヴェール(the veil of ignorance)」です。それは、自分だけが有利となるルールを誰も提案できなくするために設けられる目隠しとなるものです。無知のヴェールが施されている原初状態とは、誰も自分がどれくらいの資産を手に入れられて、どのくらい恵まれているのかがわからない状態となります。

原初状態では、我々は善の定義や自身の社会的な位置付けや階級上の地位などといった状態や状況に無知になります。この関連から無知のヴェールという仮定は、正義の原理に合意する契約当事者たちが、社会的地位や属性などの自身のアイデンティティから離脱している状態を規定します。そこで導入される正義の原理は、したがって、言わば自分のアイデンティティについて全く無知な、「無縁」化された人間によって選び出されることになります。そうして選択された正義の原理には、それ故無縁化された公共性が帯びています。

原初状態の第二の条件は、契約当事者それぞれの動機付けです。原初状態の社会契約者たちは、皆利害関心を持ちません。当事者たちは皆合理性だけで社会形成へと動機付けられていきます。したがって、当事者たちは互いに優越感や劣等感を抱きません。当事者たちが念頭においているのは、自身の生活条件を改善することだけです。このことからロールズは、それぞれの当事者たちが合理的に生活条件を改善しようとすることによって、その合理性の歯車が噛み合い、正義の原理へと結び付くと主張していました。

原初状態の第三の条件は、そこで実施されている議論で決定されるルールがどのような形式を有しているのかを契約当事者たちが予め了解していることです。特にこの点、ルールには公示性が帯びていなければなりません。

ロールズが提示した正義の二原理は、こうした原初状態を前提として掲示されています。

・第一原理
「各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない」

・第二原理
「社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。
それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。
公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないこと。」

第一原理の正義感は、他者の自由を妨害しない限り自由を容認すべきだという普遍的というよりは現実的な「消極的な自由」の主張となっています。

正義の第二原理の1.は、格差原理、あるいは「マクシミンルール」と呼ばれています。ロールズは、社会的な格差の存在を否定していた訳ではありません。ただし彼は制度的な枠組みを施すべきであるとは考えていました。その枠となるのがこの格差原理、あるいはマクシミンルールです。マクシミン・ルールとは、社会において最も不利益を被っている成員の利益こそを最大化すべきだという主張内容を意味します。

続く第二原理の2.は、機会均等原理を主張したものになっています。この原理によってロールズは、同一の条件で生じた不平等な状態や状況は許容され得ると主張したのです。

・関連する知恵ノート
ロールズ『公正としての正義』の盲点としての天才』